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  • 表現者の権利と危機管理 を考える会

民事訴訟の提起を受けて思うこと

2021年6月18日に合同会社地点に民事訴訟を提起されました。

原告は合同会社地点、被告が私ことAです。

争点は、「ハラスメントの有無」ではなく、「和解が既に成立しているかどうか」です。

地点は私に対し、和解が成立していることを前提に、『何があったか』について口外することをやめさせようとしています。

これに対して私は、和解は成立していないという立場で、地点の請求を認めないよう求めています。


私はこの訴訟自体に、私だけではなく、ハラスメント被害を受けた人が、被害を訴えづらくなるという悪影響があると考えています。被害を訴えた側が、訴訟対応というさらなる不利益を被るという構図が、今後の被害者の口を塞ぐことを強く懸念します。


この裁判は、私個人が被告ではありますが、背景にはこれまで隠され、あるいは当たり前とされてきた俳優の立場の弱さがあります。

俳優をはじめ、さまざまな表現活動の場のハラスメントの現状は、表現の現場調査団、日本俳優連合のアンケート調査のまとめをご参照ください。

(※被害の具体的事例が含まれます。ご覧になる際は、ご自身の心身の安定に十分にご留意ください。)


表現の現場調査団:「表現の現場ハラスメント白書 2021」

https://www.hyogen-genba.com/surveys


日本俳優連合:「フリーランス・芸能関係者へのハラスメント実態アンケート調査結果のお知らせ」(2019年)

https://www.nippairen.com/progress/post-1854.html



訴訟のための書面の準備に必要な事項は、私の場合は正確な時系列、事実関係の確認とともに、当時の心情の説明も多くを占めます。

訴訟になる前からそうですが、必要があるたびに当時の出来事を思い出し、資料を読み直します。録音データの確認や、文字起こしを確認することもたびたびあります。音源で聞く自分の声はか細く、当時の不安がそのまま表れているように思います。

書面の準備中、何度でも何度でも、同じ出来事が繰り返されているかのように、私の気持ちと体はその時に引き戻されていきます。

感覚は生々しく、リアルであるのに、リアルであるからこそ、誰もが分かる言葉、それも公的な書面に記載できる言葉に置き換えることには苦労を伴います。


交渉の過程において、地点側は、和解に応じなければ裁判になる、また、それによって私が不利益を被る、といった趣旨の発言を繰り返していました。その一連の言動は私を恐怖させ、私の周りの人も混乱させました。裁判とはどういうものなのか分からなかった。ですが、誰かから訴えられる、そのことだけで、自分が何か社会的に追い詰められるんじゃないか、俳優としても仕事に支障が出るんじゃないかと不安になりました。


でも今になって考えてみると、明日には裁判という言葉がどれだけ非現実的なものだったかが分かります。互いの主張を出すだけであっという間に1年。当時の自分の不明を恥じます。


ハラスメントの再発防止は、私の本件に関する活動の大きな目的のひとつです。裁判の結果が出れば、どのようにその目的にアプローチできるか考えられる気がします。もしかしたら、裁判が終わったら疲れて、何もできなくなってしまうかもしれない(そんな予感もしています)。けれど、和解したという名目のもと、ハラスメントの被害の事実を語れなくなってしまうことが嫌です。


語ることには勇気と労力がいります。

しかし、一方的な力で語れない状況にされたくありません。

語れないことは、語らないこととは違うことです。

語る/語らないを選べる自由が私はほしいです。

そうすれば、裁判の後、たとえ一度は疲れてしまっても、時がきたときにこの問題を再考したりまとめたりすることができます。

私の大切な、心優しい友人たちのために。私と面識がなくても、表現の現場にいる人のために。そしてこれから表現の世界に入ってくる人のために。


私は舞台を続けています。でもそれは私自身が、俳優であるという意思を継続しているからこそ"続けている"と言えるだけであって活動の機会が少なくなっていることは確かです


被害者が失ったものは目に見えない、とよく思います。

てらいなく、思ったことを口に出せる素直さ

のびのびとした心

安心して笑える場所

自分の表現に集中できる環境

受けられたはずのオーディション

心から楽しめるはずだった舞台や劇場


それはつまり、自分が自分のままでいられることと、仕事の機会です。そして私の仕事は、私の実存と深く結びついています。


また、残念ながら、法での解決が、心情的な救済に直接的には繋がらないことも多いと感じています。そして、もちろん、司法に訴えない被害者が精神的に弱かったり、傷ついていないということでは決してありません。

長くなりましたが、今、自分の訴訟について感じていること、またそこから派生する思考について書きました。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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