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第一審判決を受けて/控訴審に進むにあたって

更新日:2023年8月2日


*以下の文章には二次加害やフラッシュバックに関する内容が含まれます。

お読みになる際には十分にご留意ください。*



1.はじめに


既にご存知の方もおられるかと思いますが、合同会社地点(劇団地点)から提起された訴訟において、2023年3月29日、京都地方裁判所にて地点の請求を棄却する判決の言い渡しがありました。

原告側が判決を不服とし控訴を行ったため、大阪高等裁判所での控訴審でも審理が行われます。控訴審の準備が徐々に始まり、未知のものに足を踏み入れる感覚、控訴審の後の展開の見えなさに緊張と恐れを感じています。

それでもまだ立っているので、立っている限りは精一杯やるんだぞ、という気持ちです。


第一審判決からの数日間、2017年からの出来事が常にうっすらとフラッシュバックし、心と体が2017年から今までを行ったり来たりしました。それぞれの時期に辛さと悲しさと決断がありました。

ですが、私は根本的な自分の悲しみには、目を向けられていなかったように思います。日々の対応に精一杯で、傷の手当ては後回しにされていました。目の前にある問題に追われ続け、自分自身が失ったものに対して、喪に服すことができていなかったと今になって感じています。


控訴審は双方が書面を提出した上で、ほとんどが1回の期日の後、判決の言い渡しとなるそうで、期間は半年~1年ほどになる場合が多いと聞いています。

訴訟手続きはまだ続きますが、第一審判決が出た節目のタイミングで、何か言葉を残しておきたいと思いました。判決の言い渡しから3か月以上が経過し、時期を過ごしてしまったこと申し訳ありません。ここまで様々な形でご支援くださった方に感謝を申しあげます。応訴は自分が予想していたよりも負担が大きく、「表現者の権利と危機管理を考える会」のメンバーをはじめ、弁護団、友人たち、そして会のHPを通じて応援の声を届けてくださる方、気にかけてくださる方がいなければ、とても乗りきることはできませんでした。

また、これまで、ご自身の訴訟の記録を残してくださった方や、現在進行形で情報を発信してくださっている方に助けられてきました。ここに記録を残しておくことで、少しでも誰かの力になれればと思います。


2.訴訟について


第一審判決としては、双方の準備書面・証拠書類の提出と証人尋問を経て、裁判官の判断により、和解が成立していないということが明らかになりました。

従って、私には口外禁止の義務もないということになります。


今回の裁判は、合同会社地点が原告であり、私は被告として裁判に臨みました。裁判というものは、被告側には原告が定めた争点や主張に対して打ち返すという性質があります。地点が提出した書面に対して、こちらが主張、反論したいことや、それらの事実を裏付ける証拠を準備し、裁判官の指揮のもと、徐々に争点に対して重要と思われる事柄を整理していきます。地点が提出する準備書面の内容には毎回、激しく動揺させられ、動揺の中で自分の準備書面を作成しました。

書面作成の期間は概ね1か月~1か月半ほどで、弁護団の先生方が作成してくださった文案をもとに、意見交換、修正などを重ねていきます。自分の意見を伝えることと平行して、過去の資料の確認、書面に記載する双方の証拠書類の確認、経緯日時の確認を毎回行いました。その作業にはフラッシュバックが伴うため、疲弊するという言葉では表しきれないほど大変に厳しい作業でした。ですが、細かい確認を行うほど書面のクオリティがあがることもまた事実です。辛いからと作業を怠り、足をすくわれるようなことがあれば取りかえしがつかないので、どうしても手を抜くことはできませんでした。


今回の争点は、和解していたかしていないかの一点が重要でした。ですが、地点からの書面には「本訴の後に予定されている一連の法的措置」「今後、被告の過去の時点における行為を問題とする」など、今回の訴訟の後にまた別の訴訟を思わせるような文言があり、敗訴するわけにはいきませんでした。地点が予定していたと思われる次の訴訟を防ぐという意味もありますが、訴訟に負ければ、訴訟の結果だけをもって、なし崩し的にこれまで地点がしてきたことが問題ないと多くの人が認識する恐れもあったからです。そのことは弁護団の先生方もよく解っていて、第一審の最後に提出した最終準備書面には、並々ならぬ気迫を感じました。

この訴訟にはハラスメント行為者がハラスメント被害を申し出ている人を訴えたという側面があり、俯瞰して見ればハラスメント被害者を委縮させるものでもあります。

地点が押し通そうとした横車が司法の場で認められなかったことは、本件と類似の訴訟の抑止力としても大きいものと思います。今後はこのような訴訟がなくなることを願います。


今回の裁判において、控訴審に進むことで被告(私)に負担がかかり疲弊するという認識は、共有されているように思います。控訴して私や関係者を疲弊させろ、という趣旨の発言もSNS上の第三者の書き込みにはありました。どんな文意であれ、「(被告=私が)自殺してくれたら係争が終わる」と目に見える場所に書かれていることは辛いものがあります。発言している人たちにとってはひとつまみの塩のような悪意は、思いがけないときに傷に沁みて大変痛いものです。たった一言でも「私は死んでもいいくらい無価値なんだ」と思うのに十分な威力があります。

実際に控訴の申し立てを受けて、新たに弁護団に支払う着手金が必要になりました。また、今後も大阪高裁への移動宿泊費などが発生すると考えられます。人からよく聞かれることで、私自身も訴訟に関わるまで知らなかったことなのですが、訴訟の判決の中で指示される"訴訟費用"とは訴訟に必要な印紙代などを指します。

勝訴敗訴に関わらず、弁護士費用(着手金、成功報酬、移動費などの実費)、私と支援者の京都地裁への移動費などは訴訟費用には含まれず、全額が個人負担となります。経済的な不安は他の不安をも増幅させ、さまざまなところに影響を及ぼします。

また、第一審で京都地裁へ提出した書面、証拠資料は引き継がれるものの、地点が新たに提出する書面の確認や、私が新たに書面を作成する労力から逃れることはできません。応訴は体力的にも精神的にも負担の大きいものですが、手を抜くことはできません。


訴訟を提起されてから約2年。訴訟とともに歩んだ日常は、とても平穏とは言えないものでした。日々続くフラッシュバックと、押しつぶされそうなプレッシャー。心因性の体調不良。二次被害とそれに関わる様々な問題。問題の余波を受けて、壊れた人間関係もありました。毎日疲れて、ギリギリで、それでもやってくる期日のために私は自分を律し続けました。少なくとも支援者、弁護団と話すときにはあらかじめ議題を整理し自分の考えをまとめ、滞りなく会議が進むように準備をしていました。

そういった準備と引き換えに気力と体力は衰えていき、私はこれまでできていたことを一つひとつ手放していくことになりました。例えばそれは趣味を楽しめなくなることや、オーディションに応募できなくなることに始まり、徐々にもっと小さな、生活を維持することにも支障をきたすようになりました。

以前より私はずっと内向的になって、外に出かけることが少なくなっています。この訴訟を通して得た知識や経験、人との出会いがあったとしても、そういった得たものとは天秤にかけられない、大きな損失です。また、私が得たものは全て、周囲の方のサポートと私自身の努力により獲得されたもので、被害によってもたらされたものではないことを明記します。



3.サポートについて


私には、「表現者の権利と危機管理を考える会」のメンバーをはじめ、友人知人からのサポートがありました。

表現者の権利と危機管理を考える会では頻繁に定例会を開き、そのときどきの問題について話し合いを行っています。長年この問題を共有している人からの多角的な意見はありがたいものですし、訴訟手続きにおいても、地点から届いた書面の確認を一緒に行うなど、私の負担が軽くなるよう時間と気力と労力を使ってくれました。会を通じて寄せられた応援の言葉や寄付金も大きな支えになりました。

ありがたく思いながら、折りに触れて、誰もが得られる環境ではないことを強く感じました。たまたま私がつながった人たちの惜しみない協力によって今の環境は成り立っています。業界内にあるシステムによって得られているサポートではないため、たとえば私と仕事の形態が似ている人が同様の被害に遭ったとしても、同じようにサポートを受けられるとは限りません。これまでの活動をすべて一人でやり遂げられたとは到底思えず、できたとしても今の何倍もの負担を伴うものだったでしょう。

環境は、私を支えると同時に私の思考にも影響を与えました。得難い環境を持っているのだから、何らかの形で還元することが、自分の役割だと思いました。なにかを決定するとき、この決定がどのような影響を及ぼすか、今後の表現の世界によい変化を与えることができるか、自ずと考えるようになりました。



4.最近、考えていること


これまでできるだけ分かりやすい言葉選びや、冷静で穏やかな文章を心がけてきました。左記のような態度が広く問題を考えてもらうために必要なことだと感じていました。しかし一方で、冷静で穏やかであり続けることは、理想の被害者の枠から出ないという自分自身への抑圧でもありました。誰も定義づけることができない"理想の被害者"像を追い求め、そこから外れたときに起こり得る事態を恐れました。

理想の被害者でいることは、心ない言葉が溢れる現実への無意識の防衛でもありましたが、"被害者がいい人でいないと支援されない"という構図を助長してしまったのではないかと最近は思います。このブログを書くにあたって、そういった自分自身に課したルールから離れて、これまで書いてこなかった辛さのことや、当事者としての大変さを書けないかと模索しました。もっと整理しきれない、葛藤や不安、不満のことも包み隠さず語った方が、長い目で見ればいいんじゃないかと思いました。

長い時間をかけてこのブログを書きましたが、結果的には目指したところまで辿り着けなかったと思います。今後もトライを続けますが、ここで一旦、筆を置きます。


最後まで読んでくださってありがとうございました。



第一審判決の詳細、訴訟の経過についての詳細はこちらのページをご覧ください。


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